「菊太郎の楽屋話」へお越しいただき、誠にありがとうございます。
本ブログは、メールマガジンにご登録頂いたいる方限定のブログです。SNSでは発信しきれない舞台裏のエピソードや、役に対する想い等を綴ってまいります。
Webサイトが楽屋の「暖簾」であるならば、こちらのブログは「暖簾」を潜った楽屋の中。ちょっと砕けた楽屋話としてお楽しみ頂けますと幸いです。
不定期の更新とはなりますが、充実したコンテンツをお届けできるよう精進してまいります。
今月は入門以来、初めて一ヶ月丸々のお休みをいただきました。
ホームページやブログの作成、部屋の整理、旧友との再会など、とても充実した時間を過ごしました。また、体が鈍らないように踊りのお稽古やトレーニングにも励んでおりました。
その一環で、家から自転車で30分ほどの場所にある50mプールにも何度か泳ぎにいきました。
特に競技で水泳をしていたわけではないのですが、高校・大学時代に地元のプールで監視員のアルバイトをしており、泳ぎはこの時に鍛えられました。
「プールの監視員」というと陽気なイメージがあるかと思いますが、僕が働いていたプールは監視業務はもちろんのこと、訓練にもかなり力を入れている職場でした。
まず、泳ぎの基本は「1分回し10本」。1分回しとは、50mを1分以内に泳ぎ、1分経ったら次の本数がスタートするという訓練です。早く泳いで戻ってくればその分休めますが、体力を削られるため後半になればなるほど辛くなります。この1分回しができるようになると、次は設定時間をどんどん短くしていきます。
さらにきついのが「立体(りったい)」、いわゆる立ち泳ぎです。水中で足をくるくる回して顔を出す泳法ですが、救助の際は要救助者を抱きかかえてこの立体で泳ぎます。
最初は「立体10分間」。最後の一分間は腕を水面から出して体をより浮かせなければならず、これが非常にハードでした。さらには救助者を抱えた状態で立体をしながら100m泳ぐ、といった訓練もありました。
……ちなみに、プールの水深は1.2m。足がつくので現実には立体で泳ぐ必要は全くありません(笑)。
その他にも「CPCR(心肺蘇生法)」の訓練も徹底的に行いました。ダミー人形を使い、胸骨圧迫の強さが適切か、人工呼吸の息の吹き込み量が正しくできているかを機械で測定され、合格が出るまで厳しく指導されます。CPCRができるようになると、毛布を使って救助者の体温を下げないように包む方法や、毛布ごと担架に乗せる方法など、より実践的な救助法へと進んでいきます。
さらにハードなのが「ガード大会」に向けた特訓です。これはプールや海の監視員たちが職場ごとにチームとなって、救助能力を競い合う大会です。
この時期は朝6時に海へ集合し、海岸のランニングから始まり、沖まで泳いで戻ってはまたランニング。顔を上げたまま泳ぐ「ヘッドアップ」などの基礎の訓練ののち、要救助者の元まで泳いで確保、要救助者を抱えたまま浅瀬まで戻る。そこへ別の4人が浜辺からダッシュで迎えに行き、全員で肩の位置まで担ぎ上げて浜辺まで戻る……という、かなりハードなメニューをこなしていました。大会本番は朝5時頃集合で、みんなで車に乗り込んで会場の海へと向かいました。
もちろん、この大会訓練に対してバイト代は一切出ませんし、業務で必要以上の訓練をさせられるのですが、この訓練を頑張っていると普段厳しくて怖い先輩が、通常業務でも優しくなるので、頑張っていました。笑
業務中の返事はすべて「押忍!」。今まで所属してきたどの場所よりも体育会系バリバリの職場環境でした。
今思えば、歌舞伎の世界の厳しい上下関係や修練を乗り越えてこられたのも、この監視員時代に培った厳しい訓練(と先輩方とのコミュニケーション)があったからこそかもしれません。
そんな体験が染み付いているせいか、今でもプールに行くと「レジャー」というより「訓練に来た」ようなシャキッとした気持ちになってしまいます。
10月の稽古も始まり束の間のお休みもおしまいです。歌舞伎の訓練(稽古)も頑張ってまいります!
第32回 稚魚の会・歌舞伎会 合同公演では、『寿式三番叟』の「翁」を勤めさせていただきました。
メールでのご案内にも書きましたが、「三番叟」は非常に歴史が古く、猿楽舞として形が整ったのち、室町時代に能楽に取り入れ、長い年月人々に親しまれ、愛されてきた演目です。歌舞伎に移されてからも、能楽の流れを汲んだ『寿式三番叟』をはじめ、三番叟をカラクリ人形に仕立てた『操り三番叟』、廓の登場人物に移し替えた『廓三番叟』など、多くの三番叟ものが作られ継承されてきました。
『寿式三番叟』と演目が決まり、当初は三番叟役に立候補したのですが、気がつけば私も合同公演の出演者の中では芸歴・年齢ともに上の立場となっておりました。「翁を勤める人がいない」ということになり、まだまだ未熟者ではございますが、翁役に立候補させていただいた次第です。
しかし、立候補してみたもののどう勤めていいかさっぱり分からず。「さぁ困ったぞ」と、色々な方にお話を伺いに行きました。まず、数年前に合同公演で翁を勤められた中村吉兵衛さん。そして、踊り・芝居問わず日頃から相談に乗っていただいている市川新十郎さん、昨年の合同公演で『棒縛り』を教えていただいた中村又五郎旦那にもお話を伺いました。
お三方から異口同音に言われたのは、「せかせか動かないこと」でした。とにかく一つひとつの動きを丁寧にすること、足を開きすぎず真っ直ぐにすることなどを教えていただきました。
また、「この翁とは結局どういう存在なのですか? 神様なのでしょうか?」と伺ったところ、「神様ではないが、限りなくそれに近い存在だと思っていい」とお答えをいただきました。その後、新十郎さんから花柳流の芸談を送っていただいたのですが、その中に「最初のお辞儀は、これから自分が新しく神の位につくという敬虔な気持ちで神様に向けてお辞儀をする・・・」とあり、この芸談を軸に役作りを進めていきました。
振り写しは5月中からしていただきました。翁は振り自体が多いわけではないため、大変なのは振り写しのあとでした。「どうすれば翁として成立させられるか」が大きな課題となりました。
三番叟のメンバーとは出演劇場がなかなか揃わず、全体で合わせることが難しかったのですが、7月にようやく全員が揃い、御宗家や藤間勘祖先生に見ていただくことができました。御宗家には「踊りすぎないこと」や振りと振りの間の動きを丁寧に教えていただき、勘祖先生には、手だけで行っていた振りに足を使うことで「全体の空気感を動かす方法」をご指導いただきました。
本稽古からは実際の演奏の方々に入っていただくのですが、今回も歌舞伎座の本興行と見まごうほど豪華な長唄さん、鳴物さんに入っていただき、本当に助けられました。特に中盤、左右正面で足拍子だけを繰り返す場面がありますが、あそこで鳴物さんが醸し出してくれる緊張感が何よりも心強かったです。
なかなか私の芸歴や格では及ばぬお役ではございましたが、多くの方々に教えていただき、助けていただいたおかげで、なんとかお客様にお見せしても恥ずかしくないところまでは持っていけたのではないかと思っております。これから一層精進し、こうした重厚なお役もすっと勤められるようになりたいと思います。
八代目の若旦那様から「7月の巡業で三吉を勉強してみてはどうか」とお話をいただいたのは、5月の披露月でのことでした。
『魚屋宗五郎』は師匠の当たり役であり、入門以来何度も拝見してきた大好きな演目です。私自身にとっても、2021年の「稚魚の会・歌舞伎会 合同公演」で宗五郎を務めさせていただいた、非常に思い出深いお芝居でもあります。当時の合同公演では、若旦那様、萬壽旦那、時蔵さん、橘太郎さん、そして團蔵旦那という錚々たる皆様にご指導をいただき、私にとって大きな財産となりました。
実はその合同公演の際、三吉を勤められていた彌紋さんに橘太郎さんが細かく教えていらっしゃる姿を見て、「主役をやらせていただきながら不届きにも『このお役、やりたいなぁ…』と思っておりました(笑)。
三吉は基本的に幹部のお師匠方がなさるお役ですが、稀に名題が抜擢されることもあります。「いつかチャンスが巡ってきたときに確実に掴めるよう、研鑽を積まなければ」と心に決めておりました。まさかその機会が、八代目襲名という晴れの舞台で、これほど早く巡ってくるとは思ってもみませんでした。飛び上がるほど嬉しかったと同時に、身体の芯が冷えるような恐ろしさを感じました。
ご指導は橘太郎さんにお願いいたしました。五月の公演の合間に楽屋へ伺い、「実はお願いごとがありまして…」とお声がけすると、「お、三吉させてもらうの?そうじゃねぇかと思ってたんだよ。良かったなぁ!」と、快く引き受けてくださいました。5月と6月後半にお稽古をつけていただき、細かな段取りやセリフの間合いをご指導いただきました。「三吉ってのは四次元の存在なんだよ。俺も7代目の旦那にそう言われた。悲しいのは確かだけど、他の三人と同じになっちゃいけないんだよな」というお話しをして頂きましたが、この“四次元の存在”という表現が非常に深く、どこまで体現できたかは分かりません。北トピアでの舞台稽古には旦那様も駆けつけてくださり、「落ち着いちゃダメだ。もっと場をかき乱して、全体のテンポを作っていかないと」というお言葉をいただきました。近年合同公演などの舞台は映像でしか見て頂けていなかったので、舞台稽古を生で見て頂けた事は何よりの喜びでございました。
巡業公演は、全国さまざまな劇場を巡ります。基本的に場当たりなしで本番を迎えるので花道の長さや舞台の間口に合わせて動きをその場で調整しなければなりません。毎日同じように進むわけではないからこそ、「しっかりとお相手のお芝居を受け止め、その場で生きること」を何より心がけました。通常の勉強会では多くても数回しか勤められないお役を、一ヶ月間通して勤めさせていただけたことは、かけがえのない財産です。
舞台が落ち着いてきて余裕が出てくると自分のこと以外にも目を向けられる余裕が出てきます。三吉は基本的に屋台の下手奥にいて屋台の全体が見渡せるのですが、そこから8代目、京屋の旦那、橘太郎さん、吉太郎さんという人たちを見て、「あぁ、この人たちの中でお芝居させてもらってるんだなぁ」とふと喜びが溢れてきました。
課題はまだまだ山積みですが、いつかまた三吉をさせていただけるよう、これからも愚直に修行に励んでまいります。